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マラドーナが天才だったと言われる理由を少年たちも知って欲しい

今朝(2020年11月26日)朝起きたらマラドーナが亡くなったという訃報を目にした。
まだまだ若い。60歳。ブエノスアイレスの自宅で亡くなったらしい、心不全が原因とか硬膜下血腫の手術を受けていたらしいとか報道されているけど、唯一無二のサッカーのレジェンドが天に召された。ディエゴマラドーナの冥福を祈ります。

アルゼンチンでは3日間喪に服し、イタリアでもファンの落胆ぶりが報道されている。

この記事ではマラドーナが天才と言われる理由とそれをサッカー少年に知って欲しいという気持ちで追悼の念を込めてかく。

ペレそしてマラドーナ

マラドーナはアルゼンチンに1960年10月30日に生まれた。つい先月60歳になったばかりだ。

若い、若すぎる。これまでも健康不安説は流れてきた。どれも心臓が原因だった。

現役時代に比べて肥満したマラドーナ(以下敬意を込めてディエゴ)は健康管理だけは苦手だったようだ。

 

私がサッカーに出会った頃、まだマラドーナは世間に知られていなかった。

私が最初に出会った偉大なサッカー選手はサッカーの王様ペレだった。

躍動感あふれるペレのプレーだったが、トラップやドリブルという個人技がサッカーでの楽しみになることを教えてくれた。

クライフの次に現れたサッカーの神

次に出会ったレジェンドは、ベッケンバウアーとクライフだ。

サッカーマガジンを買えるようになった私はテレビでワールドカップを楽しむようになった。

皇帝ベッケンバウアーと空飛ぶオランダ人クライフはチームプレーや戦術というものを同時に教えてくれた。

サッカーはチームスポーツであり、個人がチームに貢献するためのプレーとはなにかを教えてくれたのが、オランダでありドイツであり、バイエルン・ミュンヘンであり、アヤックスだった。

1979年ワールドユース

私が高校生時代、海の向こうでマラドーナやディアスの存在を知った。

そして1979年に日本で行われたワールドユース大会でディエゴ・マラドーナは世界中に存在をアピールした。

当時はビデオが普及していないので、もっぱらテレビ放送を見るか、雑誌の写真を眺めるだけだったが、マラドーナの凄さは十分伝わってきた。

マラドーナは小さな巨人

マラドーナを身近に感じたのはその身長の低さだ。165センチと発表されているがおそらく160センチそこそこだろう。

私も身長が低く、サッカーに向いていないと散々言われて頑張ってきたのでマラドーナを見て勇気をもらったものだ。

しかし、日本人の165センチとマラドーナの165センチはその質が違っていた。

胸板の厚さ、足の太さ。筋肉という鎧(よろい)に覆われた体でマラドーナはボールを操っていた。

小さいマラドーナがボールを持つので大きなディフェンダーは体をぶつけるし、スライディングしてくる。時には、いや、しょっちゅう、足を狙われる。

マラドーナはスネとふくらはぎにレガースをつけていると言われたほどだ。

マラドーナのトラップ

マラドーナの凄さは言い尽くされているようだが、ドリブルの5人抜きはほんの一面に過ぎないと思う。

天才マラドーナでもボールを持たなければプレーはできない。ボールを受けるにはトラップが必要だが、そのトラップが半端ない。

今の時代はトラップと言わない。ボールコントロールだ。

ボールコントロールの種類の中にトラップがあると解釈している。

周りにいる相手チーム選手の逆をとって、つまりトラップ(罠)にかけてボールを自分のものにする。

ペレが浮き球を胸でトラップする姿も美しいが、マラドーナの胸トラップは驚異だった。

ボールがマラドーナの体に触れた瞬間に勢いを失い、マラドーナの意のままになる。

吸い付くという表現と同時に、吸い付いたあとにマラドーナが移動する先にボールがすでに移動しているという感じだ。

マラドーナのプレーについてはYouTubeで豊富な動画が見られるので見て欲しい。

試合前のアップで、シューズのヒモを結ばずにリフティングする様子が目に浮かぶ。

観衆など眼中にない、ピッチとボールとマラドーナが織りなす空間だ。

マラドーナから学んで欲しいと思う点は次の2つ

次の2つについて考えてみてほしい。

ボールコントロールできるエリアを広げること。
ピッチの様子を空から見たらどうなるかイメージすること。

ボールリフティングをする時、手をスッと出したところや足をスッと出したところが一番ボールが扱い易い。

そのためのトレーニングがリフティングだ。これは繰り返しやるべし。

マラドーナから学んで欲しいことは、自分から遠いボールでもスッと移動してボールをコントロールすることだ。

例えばリフティングを移動しながらやってみて欲しい。

前に進みながら、歩いて、または軽く走って。

自分の移動する先にボールを進めていく。

私はマラドーナのこの能力が彼の身長やリーチの短さも手伝って身についたのかなと思う。

リフティングしていて、前にボールが行ってしまった時に、諦めるのか、軸足ごと移動してタッチするのか。

その差は大きい。足だけ伸ばすのではなく、足も伸ばすけど軸足も移動する。

マラドーナは転ばない。転んでもすぐに立つ

マラドーナの偉大なところは、そんなプレーでもバランスを崩さないところだった。

転ばないマラドーナ。転んだらプレーが続けられないから。マラドーナは転ばない。

転ばされても起き上がる。すぐに起き上がる。すぐにプレーするために、すぐにボールに触るために起き上がる。

これは少年たちの手本になる。

サッカーの神様でさえ転んでいてはサッカーができないのだ。

マラドーナは衛星を持ってピッチに入る

もうひとつサッカー少年に手本にして欲しいマラドーナの能力はボール扱いではなく「見る能力」だ。

1979年のワールドユースでのプレーをサッカー関係者が分析したものだが、その中にいままでのサッカー雑誌にはない表現があった。

マラドーナは衛星を持っている。ピッチの中の様子を衛星から見ている。

マラドーナはトラップやドリブルだけでなく、長短交えたパスも人間技とは思えなかった。

正確に出すだけでなく、その場所がなぜわかったのか、なぜそのタイミングで出せるのか。

受け手をじっと見続けていても難しいパスをボールを奪おうとする相手をかわしながらコンマ秒のプレーでパスを出す。

そのプレーはまるで衛星からの情報でパスを出しているようだ、というものである。

マラドーナのように上空から試合を見てみる

その記事を読んで私は試合中にイメージしてみた。

私のような凡人には衛星はないが、いつも頭の中でイメージすることやボールを受ける前に見ておくこと、何を見ておけばいいのか、というような事をいつも考えるようになった。

マラドーナが周りの情報を知っているのは、ボールをコントロールすることにストレスがないからできることだ。

ボールは地面にころがっているが下を見ていてはサッカーに必要な情報は伝わってこない。

顔を上げていなければ情報は入ってこない。後ろに目があると言われるマラドーナは後ろではなく上空に目があったのだ。

サッカー少年にはマラドーナのような「上空から見たイメージ」にトライして欲しい。

俯瞰とか鳥瞰とか難しいことばを使いがちだが、ドローン映像が普及した現代ではドローンから見たように、と言ったほうが伝わるかも知れない。

マラドーナ。上手いだけで神様とは呼ばれない

ボール扱いとピッチの動きが把握できればサッカーの神様と言われてもおかしくないが、それを生きている人間が行っていた。それがマラドーナだった。

感情の起伏、情熱の塊、人間味あるマラドーナだったが、ことサッカーにかけてはサッカーの本質そのものだった。

ありがとう、ディエゴ・マラドーナ。

 

10年前のマラドーナの動画、アマゾンで。涙が出るよ。

 

 

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